理事長エッセイ

平成16年3月

威風堂々の園児に対して
 まことに失礼なこと(卒園・進級にあたって)

理事長 安井俊明

 卒園・進級おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
昨4月を思い出しますと、どの学年の園児も、1年でこれだけ成長するのかと改めて驚かされます。
 特に1月の“唱歌童謡コンサートin泉の森”における年長さんの威風堂々の姿には、驚嘆されるべきものがありました。
 その後一般の方から、「園児たちの歌に一番感動しました。その堂々とした姿に、今時こんな幼稚園があるのかとビックリしました。」という何通かのメールを頂戴しました。また当日のラジオアナウンサーも、その司会の中で、「園児たちの集中力・やる気満々の顔・終わった後のやったぞという顔・退場した園児に対する先生の言葉かけ等に感心しました」と話されていましたね。
 共に、園児の威風堂々の姿を喜びたく思います。


 さて、この2月の作品展後に、年長の山田さんから1通の手紙を頂きました。示唆に富んだ内容でしたので次に紹介します。
         年長梅組 山 田 真 貴
 園児でいられる日も残り少なくなり、子供の成長を頼もしく思うのと同時に、手元から離れていく寂しさを感じたりと、卒園にむけ とても複雑な心境です。本日は立派な作品展を鑑賞させていただき、ありがとうございました。
 音楽会・運動会・生活発表会、そして今回の作品展と、その都度 他の子供さん達をも含めて、どんどん成長していっていることを痛感させられております。
 物作りは根気がいるものなのに、どの作品も細かいところから大胆なところまで見事に作り上げられていることに驚かされ、本当に立派なものだったと思います。何時間かすれば片付けられてしまうことが残念だと子供と話しながら、これだけのものを小学生でも作れるものかと思いました。先生のご苦労には感謝するばかりです。
 同じ年頃のお子さんをもつ方が何人かおられるのですが、安松幼稚園にお世話になると決めた時はもちろん、ごく最近でも“とにかく厳しい”という先入観から「どうして1年だけなのに、のびのびと楽しく過ごさせてやらないのか」と言われることがありました。
 先生方と子供達の信頼関係が十分できていることと同時に、楽しくのびのびしていなくては これだけの作品は完成しないと思います。
保護者だけでなく、地域の方々にも もっと見ていただくことは出来ないかと残念に思いました。
 泉の森ホールのコンサートでも、他のお客さんが感心している言葉を聞きましたが、出初め式ででも、年配の方がとても感心しておられました。国歌斉唱の時も黙祷の時も、きちんと脱帽していた園児は、安松幼稚園の子供達だけでした。
 又その意味をちゃんと知っていたことにも感心させられ、とても嬉しく気持ちがよかったことを子供にも話しました。
 この前の小学校就学前健診の時には、子供はもちろん保護者の方が学校関係者の話を聞こうという態度をとらず、会場はざわざわととても落ち着かない様子だったのですが、本人はその場の雰囲気に流されることなく、安松幼稚園児らしさを通しておりました。
 “やらされているのでしょう”という言い方は、とても失礼だと思います。
本当に一度、もっと多くの人にこのような発表を見てもらえるようなチャンスはないものかとつくづく感じました。
 また、作品展を鑑賞した後、園庭で遊ばせてもらったのですが、下の2歳の子供も他の園児と一緒になって遊びに参加しておりました。遊具では園児の方にとてもじゃまになっていたと思うのですが、誰ひとり嫌がらずお世話をしてくれたり、ちゃんと順番を守ってくれて、とても気持ちよく楽しく遊ばせてもらいました。
近くにいたお子さんにはお礼を言えたのですが、嬉しかったということをお伝えいただけたらと思っております。
本日は本当にありがとうございました。《お手紙終わり》
(理事長注:山田さんは一年保育で入園されましたが、しっかりと安松魂という宝を手にされました。)

 上記のお手紙を頂き、安松幼稚園が大切にし目指していることを的確に捉えて頂き、嬉しくてジーンとなりました。
安松幼稚園は、人間としてごく当たり前のこと、
(1)「おはようございます」「ありがとうございます」「どういたしまして」「お大事に」などの挨拶が、日常生活の中でスーッと出てくる。
(2)お年寄りや小さい子に対して、ごく自然に優しさをもって対応できる。
(3)やる気満々である。
(4)静と動、善と悪のけじめをつけることが出来る。
等々の子供を育みたいと思っています。

 こういう人間としての根源的な部分を子供たちに育もうとすれば、お手紙のように、世間の一部の風評にあるような“とにかく厳しい”とか“やらされている”というような方法で出来るわけはありません。山田さんが記されているように、「先生と子供の信頼関係」が根底にあり、その上に立っての、先生と子供達との全人格をかけてのぶつかり合い・触れ合いの中から育ち、身に付いてくるものです。そして私も、先生と園児たちの触れ合いの中から人間としての根源的な部分が形成されてくる過程を多く観てきました。
 この前の小学校就学前健診の時に、周りがどのようにザワザワしていても それに流されることなく、静と動の区別、善と悪のけじめをしっかりとつけることの出来た山田みなみさんの話を心から嬉しく思います。(他にも同様の話が、数例報告されています)
 また当園の園児たちが2歳のお子さんに対して優しく対応出来たという事を聞き、同様に嬉しく思いました。早速全園児に対して山田さんのお礼の気持ちを伝え、園児の優しさを誉めました。園児の誇りやプライドをくすぐる方法で……こういう誉め方が大事なのです。(厳しさだけの指導、やらされているという受身の指導からは、上述の周りに流されないで堂々としたやる気満々の子供は育ちません。前述の一部の風評こそ当園の否定するスタイルであり、当園は子供の精神・心を大切にした誉め方・注意の仕方をしています。)

世間の一部の風評は、子供に対して保護者に対して園に対して、本当に失礼だと私も思います。
 しかし一方、上記(1)~(4)の人間としての根源的な部分を育てることの価値を理解されている方も、数多くおられます。
 一部の方の言われる“のびのびと楽しく”は、“子供に好き勝手に、したい放題にさせる”と同義語であり、“昨今の小学校の授業参観などで、参観せずに後ろでしゃべりまくっているお母さん”の出現と同一基調のものでしょう。
 「当園の子供達の 周りに対する優しい対応や やる気満々の表情が、全てをもの語っています。」ということで、山田さんの手紙を通じての皆様への語りかけと致します。
皆様のご多幸を念じます。

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当園のカリキュラム (教材の捉え方について)

平成16年3月  理事長 安井俊明

 当園で教材を用意する際の根本は、その教材が子供の発達段階に基づき、そして子供の実態に即しているかどうかです。
大人が頭で考える“難しい,易しい”は、そのまま子どもには通じません。大人にとって難しいことが子どもにとっては易しい、またこの逆もあるのです。
 同様にある教材を扱う時期も、子供にとって適切なふさわしい時期があります。
「年齢が高くなるにつれて学ぶことが容易になる」 というわけではないのです。
例えば幼児期や小学校の低学年で扱えば楽しみながら簡単にスーッと入っていくことも、高学年以降になると苦しみとなることが多々あります。
例えば、大人であるお母さんは ひらがなより漢字を難しいと感じる事が多いです。が、一文字一文字に意味があり画数が多い漢字の方が特徴をとらえやすいので、子供にとっては易しく、逆にひらがなの方が難しいのです。


当園の教材の捉え方について、漢字を例にして 少し記してみます。

(1)
当園では、赤ちゃんが言葉を覚えていく過程とまったく同じスタイルで、
漢字(文字)を指導すべきと考えています。
漢字は目で見る言葉ですから、耳で聞く言葉のように幼児に習得させるべきです。この時期をはずすと、子供自身、学習が急に困難になってしまいます。
補;
高校の先生であった石井勲さんは、ある時期、小学校の国語教育に問題があると感じ、小学校の先生に転じました。「15年間教えてみると、一年生が一番良く漢字を覚え、学年が進むほど覚える能力が低下することが分かった。文部省が6年かかって教えると定めた漢字を、一年生は一年間で8割方覚えてしまった。ひょっとすると幼稚園児の方がもっと楽に覚えていく能力があるのではという想いに至った」ということです。


(2)
生まれたての赤ちゃんに「この子はまだ言葉の意味を理解できないので、話しかけても意味がないし詰め込みになる」と考えて、話しかけるのを控えないでしょう。赤ちゃんの周りには常に言葉が飛び交い、それを耳で聞いて先ずは音声を獲得し、次には自分の行動範囲が広がるのに伴って、意味をも獲得していくのです。


(3)
漢字も、「言葉は耳を通して」と同じように、「目を通して自然と覚えていく」方法をとります。これが幼児にとって最も楽な方法なのです。


(4)
あっ、それからもう一つ。
「漢字はひらがなより難しい」というのは、大人にとってのことです。最初に述べたように、子供の発達段階に基づき子供の実態に則して考えるとき、子供に対する指導では、ひらがなの導入のほうが難易度が高いのです。と言うのは、一文字一文字に意味があり画数の多い漢字の方が特徴をとらえやすく、子供にとっては容易なのです。


(5)
当園のカリキュラムは、子供の発達段階や子供の実態を研究した上に組み立てられています。繰り返しますが、教材は大人の頭の中や机の上で作り上げるものではなく、子供の実態から出発しなくてはなりません。大人の難易と子供の難易は異なります。その意味で、冒頭で述べたことがとても重要なのです。


(6)
次に、時期の問題について触れます。
私たち大人や文部省の学習指導要領は、子供の実態を見ずに「大きくなってから学んだほうが簡単である」という錯覚を何となく持っています。が、幼い時に学んだほうが、楽に自然にスーッと入っていくということがいくらでもあります。
 例えば、赤ちゃんが日本語を母国語として獲得し日常生活に不自由のないレベルまでくるのには、3年あれば十分です。しかし私たち大人がロシア語やイタリア語を日常生活に不自由のないレベルまで獲得するのには、3年ではとても困難であるし多大な苦痛と努力が必要とされるでしょう。
言語(文字を含む)の分野だけでなく、音楽の分野や基本的生活習慣を身に付けることを含め、大きくなってからでは遅すぎる 苦労する そして能力が低下する という例は無数にあります。
 漢字を小学校まで導入・指導してはいけないという考え方は、幼児の発達段階や実態を無視し、大きくなってから苦しんで覚えなさいということにつながります。


(7)
現在の日本の言語教育で根本的に間違っているのは、国語科における「読み書き同時指導」の考えです。赤ちゃんが言葉を獲得していく過程 並びに 幼児・児童の発達段階や実態を研究すれば、「漢字を読むことが出来て,意味が理解できる」ことと「書く」ことを同時に指導するには無理があります。(書きは、筆順の問題・鉛筆を持つ指の力の問題等があるので、文字にもよりますが、幼児には、デリケートな分野になります。)
石井さんの言葉を借りると「せめて意味が理解できれば、書くのは高学年になってからだっていいんです。ましてワープロ時代の今後は、読み取る力がますます必要になるはずです。」


(8)
最後に
 漢字教育というと、漢字を教え込むことと勘違いするお母さんがいます。赤ちゃんが言葉を獲得していく過程は言語教育そのものですが、誰も赤ちゃんに言葉を教え込もうとはしないでしょう。「耳から入る言葉」か それとも「眼から入る言葉」か の違いだけであり、楽しく自然に身に付けていくということです。
 長々とお付き合い頂きましたが、「幼児期に漢字の読みと意味を得た子供たちは、ごく自然に本を読むのが好きになり情操豊かになる」という言葉でもって最後と致します。ありがとうございました。


補;
「漢字は難しい」と思っているお母さん方が多いので、漢字を例にして 当園のカリキュラム すなわち 教材の捉え方 について記しました。
基本的な生活習慣を養うことや園児との接し方等をも含め、漢字以外の他のすべての分野においても「教育は子供の実態から出発しなくてはならない」という基本精神(教育哲学)は同じであることを申し添えます。
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